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RCサクセション(RC Succession)の徹底解説まとめ - RENOTE リノート
RCサクセション(RC Succession)の徹底解説まとめ - RENOTE リノート

RCサクセション(RC Succession)の徹底解説まとめ

RCサクセションは、1970年3月5日に「宝くじは買わない」で3人組のフォーク・ソング・ユニットとしてデビュー。ホリプロに所属する。1972年までにシングル5枚、アルバム2枚を発表と、それなりの活動を続けてきたが、1973年以降から不遇の期間、本人たちが言うところの「暗黒時代」に突入。1974年に、彼らを担当していたマネージャーが、同じくホリプロ所属の井上陽水とともに事務所を独立。残されたRCサクセションは「飼い殺し」、いわゆる「干される」という状態になってしまったのだ。そんな中、ホリプロには秘密にレコーディングが進められたのが、今では名盤の誉れ高いサード・アルバム「シングル・マン」だった。このアルバムはホリプロとの契約が切れた1976年にやっと発売されることになる。1977年7月にはオリジナル・メンバーの破廉ケンチが脱退。この頃から音楽性をフォークからロックに移行し始める。そして1979年11月には仲井戸麗市が参加。1980年には名曲「雨あがりの夜空に」を発表。ロックに転身したRCサクセションは、徐々にその頭角を現し始め、1981年のクリスマスにはついに武道館でのライヴを実現するまでに至る。以降、テレビ番組への出演や、ライヴ活動、コンスタントな作品の発表が続くが、1984年には事務所独立でゴタゴタし、1988年には世間の耳目を集めることになった問題作「Covers」を発表。1990年にはドラムスの新井田耕造と、キーボードのGee2woが脱退。1990年9月に事実上のラスト・アルバム「Baby a Go Go」を発表。同年12月25日、10年間に渡り毎年開催してきた武道館クリスマス・ライヴをもって無期限活動休止状態に入る。事実上の「解散」であった。その後、忌野清志郎、仲井戸麗市ともにコンスタントにソロ活動を続け、1994年には一夜限りの共演ライヴ「GLAD ALL OVER」を日比谷野音で開催。2006年には再び二人の共演も決まった矢先、清志郎が喉頭がんにかかっていることを告白、すべての仕事をキャンセルすることになる。2007年には「完全復活祭」と銘打って日本武道館でライヴを行った清志郎だが、今度はがんが左腸骨に転移していることが判明、再び活動を休止し、療養生活に入る。2009年5月2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため、忌野清志郎永眠。享年58歳。RCサクセションの復活への希望が絶たれた。それは同時に、日本のロックの一つの大きな幕が下ろされた日でもあった。

RCサクセションのメンバー

忌野清志郎(いまわのきよしろう)

生年月日:1951年4月2日出生地 :東京都中野区本名 :栗原清志(くりはらきよし)愛称 :キヨシロー、ボス担当 :ヴォーカル、ギター没年月日:2009年5月2日

1957年、清志郎は国分寺にある「みふじ幼稚園」に転園してくる。そこでのちのRCのベーシスト小林和生と出会う。小林はすぐに別の保育園に移ってしまうが小学校で再会している。1964年、清志郎と小林は、共に国分寺第三中学校に進学。1965年にとなりのクラスの田中利和と3人で「No Names」というバンドを結成。同年11月に転校してきた破廉も加わり4人組となるが数か月で解散。1966年6月には小林、清志郎、破廉の3人で「Clover」を結成するが、翌1967年に解散してしまう。中学卒業で3人はバラバラの高校に進学するが、1968年7月、彼らが高校2年生の時に国分寺第三中学校の2年先輩の武田清一を誘って4人で「The Remainders of The Clover」を結成。この「The Remainders of The Clover」も自然消滅してしまうが、同じ年の11月に、清志郎、小林、破廉の3人で「The Remainders of The Clover Succession」を結成。これが「RC Succession」となる。なお、武田清一はのちに「日暮し」のメンバーとしてデューしている。いくつかのオディションに合格し、1970年に「宝くじは買わない」でデビュー。1972年までにシングル5枚、アルバム2枚を発表と、それなりの活動を続けてきたが、1974年に彼らの担当マネージャーが事務所から独立、その余波を食らう形で、いわゆる「干される」状態に陥ってしまう。彼らはこの期間を自ら「暗黒時代」と呼んでいる。この暗黒時代、清志郎は近所のピアノ教室に通っている。1971年頃、仲井戸麗市と出会う。きっかけは楽屋でどちらかがチョコレートを分けたこと。お互いに「あれはお前がくれたんだよ」と言い合っている。1978年に髪の毛をパンク風にカット、またこの年の9月17日、「屋根裏」でのライヴで初めてメイクをする。徐々に後の清志郎が形作られてきたのがこの頃である。また同じ頃に仲井戸は古井戸と掛け持ちの形で、RCのステージに頻繁に参加するようになる。もともと知り合いだった清志郎が「一緒にやろうよ」と誘ったのがきっかけで参加するようになったのだ。1979年、久保講堂にて古井戸解散コンサート。そのステージで仲井戸がRCのメンバーになることが発表される。ここで清志郎と仲井戸というRCのフロントの両雄が揃うことになり、RCはどんどんと頭角を現すことになる。以降、1990年の解散まで、日本のロック・シーンのトップを走り続けることになる。清志郎は、RC解散後もソロや様々なユニットで活動を続け、時折「君が代」をパンク風にアレンジした作品で物議を醸しだす、といった相変わらずな行動も怠ることはなかった。1994年8月13日には、日比谷野音で仲井戸と久しぶりに共演。2006年には再び二人の共演も決まった矢先、清志郎は喉頭がんにかかっていることを告白、すべての仕事をキャンセルすることになる。一時は回復し、2007年には「完全復活祭」と銘打って日本武道館でライヴを行ったが、今度はがんが左腸骨に転移していることが判明、再び活動を休止し、療養生活に入る。そして2009年5月2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため、忌野清志郎永眠。享年58歳。

小林和生(こばやしかずお)

生年月日:1951年12月5日出生地 :東京都国分寺市本名 :同じ愛称 :林小和生(りんこわしょー、りんこわせい)、リンコさん担当 :ベース・ギター

1964年、小林と清志郎は共に国分寺第三中学校に進学。1965年にとなりのクラスの田中利和と3人で「No Names」というバンドを結成。同年11月に転校してきた破廉も加わり4人組となるが数か月で解散。1966年6月には小林、清志郎、破廉の3人で「Clover」を結成するが、翌1967年に解散してしまう。中学卒業で3人はバラバラの高校に進学するが、1968年7月、彼らが高校2年生の時に国分寺第三中学校の2年先輩の武田清一を誘って4人で「The Remainders of The Clover」を結成。この時期、小林はギターからベースに転向、新宿の丸井でウッドベースを購入している。この「The Remainders of The Clover」も自然消滅してしまうが、同じ年の11月に、清志郎、小林、破廉の3人で「The Remainders of The Clover Succession」を結成。これが「RC Succession」となる。なお、武田清一はのちに「日暮し」のメンバーとしてデューしている。いくつかのオディションに合格し、1970年に「宝くじは買わない」でデビュー。1972年までにシングル5枚、アルバム2枚を発表と、それなりの活動を続けてきたが、1974年に彼らの担当マネージャーが事務所から独立、その余波を食らう形で、いわゆる「干される」状態に陥ってしまう。彼らはこの期間を自ら「暗黒時代」と呼んでいる。この暗黒時代、小林は東京芸術大学のベース科に入学。ベースの理論とテクニックの勉強をし直す。RCは1990年に事実上の解散。結成当初から最後まで在籍していたのは、清志郎と小林だけであった。RC解散後は、フリーのベーシストとして、加奈崎芳太郎のツアーへの参加や、遠藤ミチロウとのジョイント・ライヴなどを行っていた。現在は音楽業界から引退し、左官をしているという。

仲井戸麗市(なかいどれいち)

生年月日:1950年10月9日出生地 :東京都新宿区(戸山ハイツ)本名 :加藤秀明(かとうひであき)愛称 :CHABO(チャボ)担当 :ギター、ヴォーカル

1968年、奥津光洋と古井戸を結成。ブルースやリバプール・サウンドのコピーを演奏していた。その後、加奈崎芳太郎と出会い加奈崎芳太郎&古井戸として活動。1970年、度々共演していた泉谷しげると共にエレックレコードに所属。加奈崎芳太郎とのフォーク・デュオ「古井戸」としてデビュー。1971年頃、清志郎と出会う。きっかけは楽屋でどちらかがチョコレートを分けたこと。お互いに「あれはお前がくれたんだよ」と言い合っている。1978年頃から、仲井戸は古井戸と掛け持ちの形で、RCのステージに頻繁に参加するようになる。もともと知り合いだった清志郎が「一緒にやろうよ」と誘ったのがきっかけで参加するようになった。RCが不遇の期間、本人たちがいうところの「暗黒時代」、仲井戸が在籍する古井戸も行き詰まっていた。そして、加奈崎がソロ・アルバムを出すという話がきっかけとなり古井戸は解散することになる。1979年、久保講堂にて古井戸解散コンサート。そのステージで仲井戸がRCのメンバーになることが発表される。以降、1990年の解散まで、清志郎とともにRCのフロント・メンバーとして活動する。RC在籍中の1985年には初のソロ・アルバム「THE仲井戸麗市BOOK」をリリース。1988年には旧友の泉谷しげるのバック・バンド「LOSER」にギタリストとして参加するなど、RC以外の活動も活発に行う。1990年、セカンド・ソロ・アルバム「絵」を春日博文のプロデュースでリリースするが、この際の春日の言動がRCの解散の原因になっているといわれている(ただし、春日本人はそのことを認めていない)。RC解散後は当時ストリート・スライダーズに在籍していた土屋公平と共に麗蘭を結成。また自身の事務所7th Mother/セブンス・マザーを設立。1996年には「CHABO BAND」を結成する。1994年8月13日には、日比谷野音で清志郎と久しぶりに共演。また2008年12月8日、日本武道館で行われた「忌野清志郎 完全復活祭」にも参加している。2009年5月2日、忌野清志郎の最期を看取る。芸名の「仲井戸」は、古井戸結成当初に由来がある。当時3人のメンバーが古井戸に在籍しており、背の高い順に「大井戸」(奥津光洋)、「中井戸」、「小井戸」(加奈崎芳太郎)と芸名を付けたものが引き継がれている。麗市(れいち)は、「サンシャイン・スーパーマン」や「メロー・イエロー」のヒット曲で有名な、スコットランドのミュージシャン「ドノヴァン・フィリップ・レイチ(Donovan Philip Leitch)」が由来となっている。愛称の「CHABO(チャボ)」は、ツアー先で見かけたチャボ(ニワトリの品種)のちょこまかしてる動きが似ているところから付けられた。ちなみに誕生日の「10月9日」はジョン・レノンと一緒である(ジョン・レノンは1940年10月9日生まれ)。

新井田耕造(にいだこうぞう)

生年月日:1953年3月25日出生地 :東京都台東区浅草本名 :同じ愛称 :コーちゃん担当 :ドラムス

1970年中頃より、カルメン・マキ & OZ、シーナ & ロケッツ、杉真理、ミスター・スリム・カンパニーなどで活動。1978年3月17日、清志郎が通っていた日野高等学校の同級生阿部昇のセッション・バンドのライヴに清志郎が参加。その日にドラムを叩いていたのが新井田耕造だった(ちなみにキーボードは柴田義也であった)。ドラマーを捜していた清志郎は新井田に目をつけ、翌月4月に正式にRCへの参加を要請。こうして新井田耕造はRCに参加することになる。1990年、「Baby a Go Go」をレコーディング中に、清志郎、ミキサーのヘンリー・ハシュ、ディヴィッド・ドマーニッチ、プロデューサーの春日博文たちとの間に意見の対立が発生。新井田は激怒し、RCを脱退してしまう。RC脱退後は、梅津和時のユニットバンド「シャクシャイン」、「こまっちゃクレズマ」、「KIKI BAND」に参加、またヒカシューやヤプーズなどでも活動している。清志郎に対して激怒はしたが、晩年の清志郎と最も活動することが多かったメンバーでもあり、清志郎完全復活祭にも参加している。2013年12月1日、再結成した憂歌団に故島田和夫(自殺と言われている)の代わりとして参加。

柴田義也(しばたよしや:Gee2wo)

生年月日:1954年9月17日出生地 :兵庫県神戸市本名 :同じ愛称 :ごんた、GONTA2号(ごんた2ごう)Gee2wo、G2(じーつー)担当 :キーボード

RCサクセションの元メンバー

破廉ケンチ(はれんけんち)(1968年 ~ 1977年)

生年月日:1951年9月19日出生地 :九州本名 :桶田賢一(おけだけんいち)愛称 :ハレン、ケンちゃん担当 :ギター*左利きである。

RCサクセションのオリジナル・メンバー。1965年11月に国分寺第三中学校に転校し、そこで忌野清志郎と小林和生に出会う。彼らが組んでいたバンド「No Names」に参加するが数か月で解散。翌年には清志郎、小林、破廉の3人で「Clover」を結成するも1967年に解散。中学卒業で3人はバラバラの高校に進学するが、1968年7月、彼らが高校2年生の時に国分寺第三中学校の2年先輩の武田清一を誘って4人で「The Remainders of The Clover」を結成。このバンドも自然消滅してしまうが、同じ年の11月に、清志郎、小林、破廉の3人で「The Remainders of The Clover Succession」を結成。これが「RC Succession」となる。なお、武田清一はのちに「日暮し」のメンバーとしてデューしている。いくつかのオディションに合格し、1970年に「宝くじは買わない」でデビュー。1972年までにシングル5枚、アルバム2枚を発表と、それなりの活動を続けてきたが、1974年に彼らの担当マネージャーが事務所から独立、その余波を食らう形で、いわゆる「干される」状態に陥ってしまう。彼らはこの期間を自ら「暗黒時代」と呼んでいる。この期間、破廉はのちの俳優「三浦友和」と福生で同居していたという。その頃のエピソードに「お金のない彼らはバイトとして、府中のビール工場で働くことになった。清志郎、破廉、三浦の3人で働けばいくらかは楽になるだろう、と目論んでいたのだが、バイト当日、やはりというか清志郎だけが朝起きることができず、結局は破廉と三浦の2人だけでバイトにいった」というものがある。バンドはこの頃からエレクトリック化を模索し始めていた。破廉もエレキ・ギターを弾くように求められたのだが、アコースティック・ギターしか弾いたことのない彼はそれに対応できずにいた。また、将来の展望が見えない状態や、極度の貧乏、不摂生な生活環境などが重なり、精神的に追い詰められ、やがて鬱状態に陥ってしまう。鬱状態のまま、ギターを弾くこともままならなくなり、1975年10月頃には、破廉に代わり清志郎が通っていた日野高校の同級生だった阿部昇がギターを担当し始める。またドラムスやキーボードもバンドに参加、当時は古井戸のメンバーだった仲井戸麗市もたびたびバンドに参加するようになる。破廉の鬱はますますひどくなり、1976年には1年間の休養期間に入るが、休養を明けても結局ギターを弾くことが出来ず、1977年7月にやむなくRCを脱退している。RC脱退後は、加藤和彦やフリッパーズ・ギターのマネージャーをしたり、デビュー前のフィッシュマンズをスカウトしたりし、現在は株式会社ポリスターの音楽プロデューサーに収まっている。2002年には、音楽誌「ロック画報10 特集RCサクセションに捧ぐ」において、久々に清志郎と対面。対談を行っている。

小川銀次(おがわぎんじ)(1979年 ~ 1980年) RCサクセションの略歴 8gfujiteru_1015 @8gfujiteru_1015

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目次 - Contents

  • RCサクセション概要
  • RCサクセションのメンバー
  • 忌野清志郎(いまわのきよしろう)
  • 小林和生(こばやしかずお)
  • 仲井戸麗市(なかいどれいち)
  • 新井田耕造(にいだこうぞう)
  • 柴田義也(しばたよしや:Gee2wo)
  • RCサクセションの元メンバー
  • 破廉ケンチ(はれんけんち)(1968年 ~ 1977年)
  • 小川銀次(おがわぎんじ)(1979年 ~ 1980年)
  • 春日博文(かすがひろふみ)(1978年、1990年 ~ 1991年)
  • RCサクセションの略歴
  • 1950年~1967年:結成前夜
  • 1968年~1972年:RC結成からデビューへ
  • 1973年~1979年:暗黒時代
  • 1980年~1984年:ロック界の頂点へ
  • 1985年~1987年:ソロ活動の活発化
  • 1988年~1990年:アルバム「COVERS」、そして終焉へ
  • RCサクセションのディスコグラフィー
  • 1969年
  • 11月1日:アルバム「カレッジポップス・コンサート実況録音盤」
  • 1970年
  • 3月5日:シングル「宝くじは買わない」
  • 12月5日:シングル「涙でいっぱい」
  • 1972年
  • 2月5日:シングル「ぼくの好きな先生」
  • 2月5日:アルバム「初期のRC・サクセション」
  • 7月5日:シングル「キミかわいいね」
  • 12月5日:アルバム「楽しい夕に」
  • 12月20日:シングル「三番目に大事なもの」
  • 1976年
  • 1月21日:シングル「スローバラード」
  • 4月21日:アルバム「シングル・マン」
  • 10月11日:シングル「わかってもらえるさ」
  • 1979年
  • 7月21日:シングル「ステップ!」
  • 1980年
  • 1月21日:シングル「雨あがりの夜空に」
  • 5月21日:シングル「ボスしけてるぜ」
  • 6月5日:アルバム「RHAPSODY」
  • 10月28日:シングル「トランジスタ・ラジオ」
  • 12月5日:アルバム「PLEASE」
  • 1981年
  • 6月1日:アルバム「EPLP」
  • 11月21日:アルバム「BLUE」
  • 1982年
  • 3月21日:アルバム「HARD FOLK SUCCESSION」
  • 4月5日:アルバム「Yeahhhhhh. at武道館」
  • 6月23日:シングル「SUMMER TOUR」
  • 10月25日:アルバム「BEAT POPS」
  • 12月10日:アルバム「The Day of R&B」
  • 12月15日:シングル「つ・き・あ・い・た・い」
  • 1983年
  • 6月1日:シングル「Oh! Baby」
  • 7月5日:アルバム「OK」
  • 11月7日:シングル「ベイビー!逃げるんだ。」
  • 12月5日:アルバム「The KING of LIVE」
  • 1984年
  • 7月21日:シングル「不思議」
  • 7月21日:アルバム「EPLP-2」
  • 9月21日:アルバム「The LiVE!」
  • 11月23日:アルバム「FEEL SO BAD」
  • 12月21日:アルバム「MIX & MIX-ER」
  • 1985年
  • 4月21日:シングル「すべてはALRIGHT(YA BABY)」
  • 11月21日:アルバム「HEART ACE(ハートのエース)」
  • 12月21日:シングル「SKY PILOTスカイパイロット」
  • 1986年
  • 4月23日:アルバム「NAUGHTY BOY」
  • 10月21日:アルバム「the TEARS OF a CLOWN」
  • 1988年
  • 2月25日:アルバム「MARVY」
  • 3月25日:シングル「NAUGHTY BOY」
  • 8月15日:シングル「LOVE ME TENDER」
  • 8月15日:アルバム「COVERS」
  • 12月16日:アルバム「コブラの悩み(Cobra In Trouble)」
  • 1990年
  • 9月5日:シングル「I LIKE YOU」
  • 9月27日:アルバム「Baby a Go Go」
  • 1995年
  • 9月25日:アルバム「SOULMATES」
  • 2005年
  • 10月26日:アルバム「RHAPSODY NAKED」
  • 2011年
  • 11月23日:アルバム「sings soul ballads」
  • 2013年
  • 5月3日:アルバム「悲しいことばっかり(オフィシャル・ブートレグ)」
  • 2015年
  • 12月16日:アルバム「日暮し Bonus Tracks」
  • 2016年
  • 2月5日:アルバム「PLEASE ROCK ME OUT at 日比谷野外音楽堂 1981.5.30 - 5.31」
  • 3月30日:アルバム「SUMMER TOUR’83 渋谷公会堂 ~KING OF LIVE COMPLETE~」
  • RCサクセションの代表曲
  • 宝くじは買わない
  • ぼくの好きな先生
  • 冷たくした訳は
  • スローバラード
  • 雨あがりの夜空に
  • よォーこそ
  • トランジスタ・ラジオ
  • いい事ばかりはありゃしない
  • ロックン・ロール・ショー
  • 多摩蘭坂
  • つ・き・あ・い・た・い
  • Oh!Baby
  • ドカドカうるさいR&Rバンド
  • ベイビー!逃げるんだ。
  • 自由
  • 腰をふれ
  • 海辺のワインディング・ロード
  • ヒッピーに捧ぐ
  • 明日なき世界
  • サマータイム・ブルース~ラヴ・ミー・テンダー
  • I Like You
  • あふれる熱い涙
  • RCサクセションの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
  • 三浦友和の俳優デビューのきっかけ
  • 暴言・暴走など
  • 最後の共演
  • デザートはあなた
  • 君はLove Me Tenderを聴いたか?
  • 解散について
  • 原発音頭
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