【見仏入門】No.39 奈良・大安寺の仏像/十一面観音立像、馬頭観音立像、楊柳観音立像、御朱印など
もう少し具体的に書くと、聖徳太子の「 熊凝精舎 」を本格的な寺院にしようとして、639年に百済川のほとりに「 百済大寺 (くだらのおおてら)」(官寺)が建てられました。この百済大寺は九重塔を持つ大きな寺でしたが、この塔はすぐに焼けて無くなったとされています。その後「高市大寺(たけちのおおてら)」「大官大寺(だいかんだいじ)」などと名前をかえて移転を繰り返し、716年に飛鳥にあった「大官大寺」を平城京(平城京左京6条4坊)に移転し、745年に「 大安寺 」と名前を変えています。その当時大安寺は、 南都七大寺 (興福寺、東大寺、西大寺、薬師寺、元興寺、大安寺、法隆寺)の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺だったのです。
この平城京移転には唐に渡って修行した「 道慈 (どうじ)」が尽力したといわれています。道慈は唐の西明寺(さいみょうじ)で修行して、その方式を取入れたと伝えられ、南大門外に東西に2つの塔をもったとても大きな寺だったといわれています。また、道慈は「 額田氏 」とされ、この寺の開祖ともいわれています。
736年に「大安寺大般若経転読会」を始めた人物で、この道慈は中国の僧「 鑑真 (がんじん)」を日本に招いて、新の仏教を広めることに尽力しています。
また、東大寺大仏殿の開眼供養法会で婆羅門(バラモン)僧正として導師をつとめた天竺(インド)の僧「 菩提遷那 (ぼだいせんな)」が居住したのもこの寺といわれ、他にも、唐僧「 道せん 」、ベトナム僧「 仏哲 (ぶってつ)」、新羅僧「 審祥 (しんしょう)」など歴史に名を残している異国の僧侶が住居していたともいわれており、大安寺は当時のもっとも国際色豊かな文化センターのような寺であったとされています。そのため、今でもこの寺では、国際色豊かな仏教交流が行われているようです。
奈良・平安以降、この寺は、何度か火災が起こり、特に1017年には伽藍のほとんどが焼ける火災が起こりました。その時は幸いなことに本尊の釈迦如来像はその火難を免れたとされています(現在は実在していません)。また、中世以後に寺は次第に衰え,特に1596年におきた「 慶長伏見地震 (けいちょうふしみじしん)」で古い建物はすっかり倒壊してしまいました。
その後、江戸時代にも復興の動きはありましたが、ほとんど復興されることはありませんでした。1921年に大安寺塔跡が奈良県で初めて史跡に指定され、第2次世界大戦後になって大がかりな発掘調査が行われました。 この調査によって,当初の伽藍配置が確かめられました。1968年に旧境内地288,000平方メートルが史跡として追加指定され、「 史跡大安寺旧境内 」と改称されました。
た。また,同寺に遺存する 聖観音など9体の木像群 は, 彫刻史上大安寺派 とも呼ばれています。また、この寺の発掘で、時代を検証するさまざまな瓦が発掘されており、瓦での時代判定には欠かせない資料となっています。
大安寺の正門にあたる南大門は(奈良の)六条大路に面して建っていましたが、寺域は六条大路の南側にも伸びていて、東西3町(約400m)、南北5町(約650m)に及ぶ広大なものだったそうです。
伽藍配置は、中心に南大門、中門、金堂、講堂が一直線に並び、その延長線上に食堂もあったそうです。そしてこれらの堂は回廊で結ばれ、僧坊は一般の伽藍配置では講堂横に配置されましたが、ここではこれらの回廊の三面を大中小の僧坊が取り巻く形だったといいます。六条大路の南に四坪分の塔院が設けられ、七重塔は東西に2つありました。しかも、それも金堂からは大きく離れて、南大門の外側(南方)に建っていました。 この配置は「 大安寺式伽藍配置 」と呼ばれています。(西塔心礎、大安寺周辺は庭石の出土地として知られ、堂や塔の礎石などはほとんどが持ち去られてしまいました。)
発掘調査の結果、七重塔の基壇は西塔跡に巨大な心礎が残されており、この大きさや、そのまわりの4×4列の礎石抜き取り跡などから、現存木造塔では一番高い東寺五重塔(高さ54.8m)や興福寺の五重塔(高さ50.8m)よりも大きい 高さ70mクラスの七重塔 であったと考えられています。まあなお、焼失した東大寺七重東塔の高さは96mあったと言われていますのでそちらの方が大きいです。
もっとも百済大寺などでは九重塔が建てられたといわれていますので、その大きさはどんなだったのでしょうか?
大安寺の今はなき、昔の本尊であった「 乾漆造釈迦如来像 」は 天智天皇 が発願した像といわれ、かなりの名作として知られていました。
平安時代末期の1140年に 大江親通(おおえのちかみち) が南都の諸寺を巡って書いた記録といわれる『七大寺巡礼私記(しちだいじじゅんれいしき)』には、「 薬師寺の本尊像(現存、国宝)は優れた作だが、大安寺の釈迦像には及ばない 」という趣旨のことが記されています。本当にどんな像だったのでしょうか? 興味がわきますね。
この像については、平安時代末期に和様彫刻様式を完成させた仏師、 定朝 (じょうちょう)も大安寺の釈迦像を模作したことが伝わっています。
大安寺の仏像の詳細 本殿と収納庫(讃仰殿)
この寺に残されている9体の仏像のうち、十一面観音像と馬頭観音像は、 秘仏 ですので一般公開されていません。しかしそれぞれ年1回別々の期間に、 特別公開 が行われています。
・十一面観音立像特別公開日 → 10月1日~11月30日
・馬頭観音立像特別公開日 → 3月1日~31日
十一面観音立像【重文】(奈良時代)〈作者不詳 像高 190.5cm 一木造〉本堂安置本像は、奈良時代(天平)の作なのですが、頭部や左手は後世のもの(後補)に変わっています。
腹部の石帯(せきたい:帯)には数珠つなぎの飾りが垂れていて、台座には菊座と2枚の葉を向き合わせた「対葉花文(たいようかもん)」が刻まれています。
馬頭観音立像(木造千手観音立像)【重文】(奈良時代)〈像高173.5cm 一木造〉嘶堂安置十一面観音立像とともに、この寺の 秘仏 です。 馬頭観音 と一般には呼ばれていますが、文化財の指定は千手観音となっています。この像も奈良時代(天平)の作といわれていますが、当初から残る体部を除いて、後補部分が多い像です。
寺伝では馬頭観音として伝わり、平成9年に建てられた「 嘶堂 (いななきどう)」に安置されています。忿怒の形相で、一面六臂(顔が1つで腕が6本)の像です。
ただ、一般の馬頭観音にある 頭上の馬頭 がこの像にはありません。
胸飾りの瓔珞(ようらく)といわれる装身具や、足首に蛇が巻きついた姿と腰には獣皮をまとっている極めて珍しい姿です。これは、密教の儀式といわれる「儀軌(ぎき)」以前の古像で、 馬頭観音の原初の姿 (日本最古の馬頭観音像)ともいわれています。
この馬頭観音の「秘仏神符のお守り」は、紀州徳川家に伝わったとされるもので、厄除守りとして有名です。
不空羂索観音立像 【重文】(奈良時代)〈像高189.9cm 一木造〉不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)は 六観音 の一つとされ、 羂索 (けんさく)という鳥獣を捕まえる綱を手に持ち、この羂索であらゆる者を引きつけて救済する働きがある観音です。
楊柳観音立像 【重文】(鎌倉時代)〈像高168.5cm 一木造〉楊柳観音 (ようりゅうかんのん)は、 三十三観音 の一つで、病苦からの救済を使命とする観音様です。 右手 に柳の枝を持つことから楊柳観音と呼ばれています。
聖観音立像 【重文】(奈良時代)〈像高176cm 一木造〉大安寺の聖観音は、榧(カヤ)の一材から頭部より台座まで彫り出された一木彫です。顔はやや下つぼまりになっていて、体はどっしりとした安心感がある像です。
胸部にニ連の胸飾りは連珠(じゅず)と瓔珞(ようらく)があらわされ、 唐代長安の貴婦人が着飾った様式 を伝えているともいわれています
四天王立像 【重文】(奈良時代)〈像高 持国天149.5cm、増長天140cm、広目天137.5cm、多聞天138.8cm 一木造〉この四天王立像はいずれも頭上から台座を含めてすべて一木彫です。
またこれらの像はいずれもかなりの後補の部分があり、本来一体でまとめて造られたものとは限らないようです。しかし他の観音像と似た点が多く、やはり天平末期の作とされています。四体とも岩座に立ちますが、これは仏教の須弥山をかたどっているともいわれ、 中国大陸の山塊の形状を良く知る仏師 の手によって作られたものと考えられています。
四天王は、 持国天は東方、増長天は南方、広目天は西方、多聞天は北方 をそれぞれ守護しています。
持国天
増長天
広目天
顔は少し右を向き、体を左に開いて身構えています。 他の像と違って、口は開き、歯をあらわした忿怒の姿をしています。 全体の作りや腰から足にかけては増長天によく似ていて、この 広目天と増長天は一連の作 と考えられています。
多聞天
さて今まで見てきましたが、この 大安寺の九体の木彫仏 は、 奈良時代から平安時代に移ろうとする過渡的な作品 といわれ、高い価値が認められるとされています。
奈良時代の仏教彫刻は、金銅仏・乾漆仏・塑像が主流になっていて、唐の文化の影響が大きく、この大安寺に伝わる九体の木彫群は、 初期の典型的な一木の木彫仏の代表 と見られています。平安時代に入ると寄せ木の仏像がその主流を占め、やがて木彫全盛の時代に入っていきます。 奈良時代の初期に唐より帰朝した 道慈律師 らがこの寺に密教を伝えており、その系譜の中で 空海 が登場したのを考えると、これらの九体の密教仏の存在の価値が見えてきます。
このように大安寺一木彫の仏像は、部分的には後補もありますが天平時代末期の特異な存在として、「 大安寺様式 」などと呼ばれています。
大安寺の御朱印
大安寺の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称
宗派
住所
電話
拝観時間
拝観料金
大人:400円 大学:400円 高校:300円 中学:200円 小学:100円
※3月・10月・11月の特別拝観時は100円増 ※30名以上で1割引 ※団体様(人数不問)には寺僧より法話、ご案内(要予約+100円で笹酒付き)
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