. Interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第5回 | フレッド・フリスとの出会い、そして初めてのアメリカ | ele-king
Interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第5回 | フレッド・フリスとの出会い、そして初めてのアメリカ | ele-king
Interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第5回 | フレッド・フリスとの出会い、そして初めてのアメリカ | ele-king

Без кейворда

Home > Interviews > interview with Keiji Haino - 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第5回

interview with Keiji Haino

灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第5回 フレッド・フリスとの出会い、そして初めてのアメリカ 取材・写真・文=松山晋也 Aug 19,2024 UP

■ 81年7月21日、池袋の「スタジオ200」でおこなわれた「通俗―異端―音楽実験室 Beat Complex 2」なるイヴェントでフレッド・フリスと初共演しましたが、どういう経緯だったんですか?

■ この時フリスを招聘したのはフールズ・メイト誌の北村昌士さんで、7月10日から日本各地でライヴをやりました。突然ダンボールやグンジョーガクレヨンとも共演したり。翌年には『Live In Japan』というフリスのアルバムも出た。

灰野: フリスの希望で、最初から最後までずっとデュオだった。フリスはテーブル・ギターで、俺はギターとヴォイス、そして天井からもう1本別のギターをぶら下げた。ギターをただ弾くのではなく、吊り下げたギターにバスケットボールをぶつけて、転がってきたボールを更に手元のギターにこすりつけて別の音を出したり、それを一つのリフとして提示して繰り返した。サウンド・インスタレイションのように思われるだろうけど、当時から俺の中では、あらゆるものはつながっているという意識があって、それら全体が演奏だと思っていた。フリスも当時既に、いろんな方法でギターの音を出していたけど、その後まもなく始めたスケルトン・クルー(Skeleton Crew)では、演奏形態を一段と拡張し始めたよね。この時の俺との共演も大きなヒントになったんじゃないかな。このデュオ・ライヴの音源はディスク・ユニオンの関係者が持っているようだから、いつかリリースされるかもしれないね。

Skeleton Crew 『Learn To Talk』より「It's Fine」(1984)

■ その後85年にフリスがプロデュースした日本のアヴァン・ロックのコンピ盤『Welcome To Dreamland (Another Japan)』にも、灰野さんの演奏が収録されましたよね。

灰野: 俺の曲「As It Is, I Will Never Let It End. 」は84年に GOK Studio で録音したもので、本当は30分ぐらいあったものをフリスが3分に編集したんだ。だからフリスは「Scissors (はさみ)」とクレジットされている。

灰野: そう。実験音楽集団の「LAFMS」 (Los Angeles Free Music Society) のメンバーだったジョン・ダンカンを最初に訪ねた。ジョンとは渡米の2ヵ月前に、例の「通俗―異端―音楽実験室 Beat Complex」のVol.9 で共演しており、彼もいろいろとサポートしてくれたの。 当時のレートは1ドル=250円で大変だったけど、何よりも準備に一番苦労したんだ。米大使館からヴィザをなかなかもらえなくてね。当時は観光ヴィザでも、東京の米大使館で面接があった。運悪く、その直前にNYで核兵器反対運動の大規模なデモがあり、日本人は歓迎されざる国民というムードになっていたから、それも関係あったんだと思うけど、なかなかヴィザが下りなかった。どういう人間なのかを説明するために、雑誌の記事を10本ぐらいコピーして持って行ったけど、9時から5時まで待たされたあげく面接もなく、翌週また行った。不法滞在をしない証拠として、帰国後のライヴの出演依頼書をライヴハウスの担当者などから書いてもらって。で、やっと45日間のヴィザが下りた。でも、渡米予定日が計画から1週間ズレてしまったため、フリスとジョン・ダンカンがいろいろとお膳立てしてくれていたLAとNYのライヴのスケジュールなどが全部ダメになってしまった。 LAでは急遽ダンカンが新たにライヴをセッティングしてくれたんだけど、その会場はたくさんの人間がスクワットしている怪しいビルの地下スペースで、かなりのトラブルになった。 次のオークランドでは、森の中にあるヘンリー・カイザーの自宅に1週間ほど泊めてもらった。ラルフ・レコードからLPを出していたアヴァンギャルド・バンド、MX-80 SOUND のメンバーとヘンリーの自宅でセッションをやったんだけど、そのメンバーの一人がやっている爬虫類屋さんに前日遊びに行った時、そこでニシキヘビにネズミを食べさせるという、俺にとってはとても許せないものを見せられたんだ。俺は激怒して、セッションの時、おそらく宇宙いっぱいの怒りをこめて演奏したら、そいつはビビって途中で逃げていってしまった。ヘンリー・カイザーは笑っていたけどね。

MX-80 Sound 『Crowd Control』より「Why Are We Here」 (1981)

灰野: そう。フリスが俺のレコードを事前に渡していてくれたので、泊めてもらえたんだ。彼からは「飛行機に乗る時は、ギターは絶対に預けないで機内に持ち込め」とアドヴァイスされ、それ以来ずっと守っている。 オークランドの後はNYに行き、最後に再び西海岸のパサディナに移動して、LAから帰国したんだけど、パサディナでは「LAFMS」の中心メンバーのリック・ポッツのところに1週間ほど泊めてもらった。その時にドゥードゥエッツやリック・ポッツとやったセッション・ライヴが、2002年に出た『Free Rock』というアルバムだよ。パサディナは、小さなカフェが1軒あるだけのすごい田舎で、ボーッとして過ごすしかなかった。

Doo-Dooettes with Keiji Haino & Rick Potts『Free Rock』

灰野: そう。でも、計画が1週間ズレたせいで、会えるはずだった人たちともほとんど会えず、ライヴもフリスが急遽セットしたものが1度だけになった。エリオット・シャープのバンドのオープニング・アクトをフリスと一緒にやったんだけど、客席は超満員だった。俺はいろいろと鬱憤がたまっていたこともあって、かなりワイルドなプレイになり、フリスもちょっとあたふたしていた。終わった後、フリスは「Keiji is from hell」と言って笑っていたけど、客席にいたフリスのファンからは「フリスはとてもいいやつだから、あんまりいじめないでくれ」と言われてしまった(笑)。

灰野: いや、既に70年代後半には、アメリカでどれぐらい通用するのかやってみたい、英語以外では絶対に負けないぞ(笑)という気持ちがあった。『No New York』やテレヴィジョンのレコードを聴いて、こういうのが成立するんだったら大丈夫だなと、ある種の自信を持ったんだ。俺はその10年近く前にロスト・アラーフをやってたわけで。これはもうアメリカに行かなくちゃいけないな、勝負してみたいなと。だから、フリスから声がかかって81年に初めて共演した時は、これがいいきっかけになるといいなという期待もあった。

灰野: そうだね。LAとNYは人間も文化も全然違う。西海岸は気候も人間もあったかい。泊まるところがないんだったらうちに来いよと気軽に声をかけてくれるし。1週間予定がズレたせいで、NYの初日なんて、ひどいところに泊まったんだよ。スタジオ・ヘンリーという地下のライヴハウスの楽屋で石の床に新聞紙を敷いて寝た。スタジオ・ヘンリーの経営者は、グレン・ブランカの『The Ascension』(81年)でドラムを叩いていたスティーヴン・ウィッシャース (Stephan Wischerth) だった。最初の夜、ヘトヘトになって楽屋で熟睡したんだけど、翌日の昼に突然聴こえてきた爆音でたたき起こされた。楽屋から出ると、ジョン・ゾーンとアート・リンゼイとデイヴィッド・モスがリハーサルをやっていた。3人と会ったのは、その時が初めてだった。

Glenn Branca 『The Ascension』より「Light Field (In Consonance)」(1981)

John Cipollina 1981年のライヴから

灰野: いや、さっき言ったアート・リンゼイ、ジョン・ゾーン、デイヴィッド・モスのトリオ以外には何も観なかった。NYの連中は西海岸みたいに親切に世話をしてくれる感じではなく、ほっとかれていたし。 レコード屋にも行ったけど、ひどい目にあったんだよ。実は、レコードのトレードをしようと思って、『わたしだけ?』10枚のほかに30枚ぐらいのLPを持って行ってたの。バーズやプロコル・ハルムなどのきれいな日本盤ばかり。ザ・フーとジミヘンの缶セット(『Battle Of The Who & Jimi Hendrix』)もあった。そういうのがあっちではすごく高値で売買されるという情報を耳にしていたから。で、トレードをしてくれるというマンハッタンの中古レコード屋に持っていったら、店員の目の色が変わった。店の在庫のどんなレコードとトレードできそうか調べるので、一時預からせてくれと言われ、全部彼に預けた。数日後に店に行ったら、そいつが、面と向かって「いや、預かってない」と言って、返してくれないんだ。あんた、誰? みたいな感じ。ひどいんだよ。日本では考えられないでしょう。らちがあかないので、フレッド・フリスに相談したら、彼が激怒して弁護士を連れて店に乗り込んでくれ、それでようやく全部取りもどせたんだよ。

RELATED Profile

松山晋也/Shinya Matsuyama 1958年鹿児島市生まれ。音楽評論家。著書『ピエール・バルーとサラヴァの時代』、『めかくしプレイ:Blind Jukebox』、編・共著『カン大全~永遠の未来派』、『プログレのパースペクティヴ』。その他、音楽関係のガイドブックやムック類多数。

INTERVIEWS
  • interview with Flying Lotus - フライング・ロータス、最新EPについて語る
  • interview with Autechre - 来日したオウテカ──カラオケと日本、ハイパーポップとリイシュー作品、AI等々について話す
  • interview with Shinichiro Watanabe - カマシ・ワシントン、ボノボ、フローティング・ポインツに声をかけた理由 ──渡辺信一郎、インタヴュー
  • interview with Sleaford Mods - 「ムカついているのは君だけじゃないんだよ、ダーリン」 ——痛快な新作を出したスリーフォード・モッズ、ロング・インタヴュー
  • interview with bar italia - バー・イタリア、最新作の背景と来日公演への意気込みを語る
  • interview with Kneecap (Mo Chara and Móglaí Bap) - パーティも政治も生きるのに必要不可欠 ──ニーキャップ、来日直前インタヴュー
  • interview with Chip Wickham - スピリチュアル・ジャズはこうして更新されていく ――チップ・ウィッカム、インタヴュー
  • interview with NIIA - 今宵は、“ジャンル横断”ジャズ・シンガーをどうぞ ──ナイア、インタヴュー
  • interview with LIG (Osamu Sato + Tomohiko Gondo) - 至福のトリップ体験 ──LIG(佐藤理+ゴンドウトモヒコ)、インタヴュー
  • interview with Kensho Omori - 大森健生監督、『Ryuichi Sakamoto: Diaries』を語る
  • interview with Lucrecia Dalt - 極上のラテン幻想奇歌集 ——ルクレシア・ダルト、インタヴュー
  • interview with Ami Taf Ra - 非西洋へと広がるスピリチュアル・ジャズ ──アミ・タフ・ラ、インタヴュー
  • interview with Jacques Greene & Nosaj Thing (Verses GT) - ヴァーシーズGT──ジャック・グリーンとノサッジ・シングが組んだ話題のプロジェクト
  • interview with Kassa Overall - ヒップホップをジャズでカヴァーする ──カッサ・オーヴァーオール、インタヴュー
  • interview with Mat Schulz & Gosia Płysa - 実験音楽とエレクトロニック・ミュージックの祭典、創始者たちがその歴史と〈Unsound Osaka〉への思いを語る
  • interview with Colin Newman/Malka Spigel - 夏休み特別企画 コリン・ニューマンとマルカ・シュピーゲル、過去と現在を語る
  • interview with Meitei - 温泉をテーマにアンビエントをつくる ──冥丁、最新作を語る
  • interview with The Cosmic Tones Research Trio - アンビエントな、瞑想的ジャズはいかがでしょう ——ザ・コズミック・トーンズ・リサーチ・トリオ
  • interview with Louis and Ozzy Osbourne - 追悼:特別掲載「オジー・オズボーン、テクノを語る」
  • interview with LEO - 箏とエレクトロニック・ミュージックを融合する ――LEO、インタヴュー

ele-king™ © 2026 All Rights Reserved.

📎📎📎📎📎📎📎📎📎📎