井上陽水『リバーサイドホテル』不敵な濡れ場
リバーサイドホテル どこ モデルは
リバーサイドホテルで検索すると各地に実在するホテルがヒットする。井上陽水の曲にあやかってその名前をつけて開業したリバーサイドホテルも、もともとあるリバーサイドホテルもどっちもあるのかもしれない。
熊本県と大分県のほぼ県境。杖立温泉の…くきた別館…なのか?
東京出身の私は「リバーサイド」と聞くと多摩川や荒川を想像してしまう。のぺぇーっとした、開けていて目立った観光地もない、ただの平野(空き地)のイメージである。野球場も思い浮かぶ。「生まれ育ち」って大きいなぁ。川にもいろいろあるというのに、「リバーサイド」と聞くと私はそれほどに限定的で具体的なイメージを抱く。
意味が重複する歌詞
『リバーサイドホテル』の歌詞で気になるのは意味の重複である。
“誰も知らない夜明けが明けた時”(『リバーサイドホテル』より、作詞・作曲:井上陽水)
とはいえ芸術・文化・娯楽性のある商業音楽作品であり、正しい文法を伝える教本ではないのだ。イミが重複した表現を避けるなんてルールはない。報道やニュースでもない。たとえば出版関係者必携の「記者ハンドブック」に準ずる必要なんて何もない(でも文章に少しでも携わる人は知っておいたほうがいい。だから……作詞をするミュージシャンも知っていたほうがいい。分かっていて守らない自由があることはいうまでもない。もちろん知らなくても許容だろうけど)。
“ホテルはリバーサイド 川沿いリバーサイド”(『リバーサイドホテル』より、作詞・作曲:井上陽水)
が、「川沿い」を意味する表現を三連呼しているに等しい。
言い過ぎた。どうでもよくない。ただ、無視しても良い。そのほうが個性的な作品が作れる可能性がある。有名な『少年時代』の歌詞だって、意味のわからない表現や造語がみられるが音楽の教科書にまで載っている。いかにルールから自由になるか。ルール無視を念頭に創作にのぞむこともない。そちらのほうがむしろルールにとらわれている。そもそもルールの意識がないことが自由の前提なのかもしれない(極論?)。
いちばんクラクラくる重複が2コーラス目のはじめのほう、
“部屋のドアは金属のメタルで”(『リバーサイドホテル』より、作詞・作曲:井上陽水)
もう、ことば遊びをしているのが明白だ。それが気持ちいい。ガツンと殴られた気分。もちろん、ことば遊びをしている意識の有無は問わない。井上先生がどんなつもりで書いたんだってかまわない。特になんのつもりもなく書いていてくれた方がむしろ良いとさえ思う。いや、もちろん「記者ハンドブックも編集者のルールも全部知っている。それで君らを笑おうと思って書いたんだよ」ということでもいい。なんでもいいのだ。音楽だから。全部音楽だから。井上先生、私はクラクラきています。
世に「濡れ場」という言葉があるように、「水」には性(性的な営み)を思わせる側面がある。曲の奇しい艶めきを表現した美しいタイトル。
『リバーサイドホテル』を収録した井上陽水のアルバム『LION & PELICAN』(1982)
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