豊国廟 | 豊臣秀吉のお墓。489段の石段と登拝御朱印のご紹介
豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)[1536~1598]安土桃山時代の武将。織田信長に仕え、信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一。この間、天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり、豊臣を賜姓。また、検地・刀狩りなどを行い、兵農分離を促進した。のち、明国征服を志して朝鮮に出兵したが、戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。豊太閤。
出典:小学館デジタル大辞泉より抄録 ▲豊国廟 鳥居 ▲太閤坦の拝殿 ・豊国廟の歩み- 慶長3年(1598年)豊臣秀吉は伏見城で死去。遺体は火葬せずに城内に安置されました。
- 慶長4年(1599年)豊国廟の創建。遺言により東山の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓の太閤坦に廟所が建立されました。境内域30万坪を誇る壮麗かつ壮大な廟所は「豊国社」と命名され、毎年4月と8月に行われた豊国祭には朝廷より勅使が遣わされ、諸大名の参拝や寄進が相次いだといいます。
- 慶長20年(1615年)に豊臣家が滅亡すると徳川家康の意向により神号は剥奪、神社も廃絶・破却されました。秀吉の遺体は山頂にのこされ霊屋は修理禁止とされ、江戸時代を通して再興が認められることはありませんでした。
- 明治元年(1868年)明治天皇が「秀吉は天下統一を果たしたが、幕府を作らず天皇を尊重した人物」であると再評価し豊国神社を再興。
- 明治31年(1898年)豊国廟の再建。豊太閤三百年祭にあわせ阿弥陀ヶ峰山頂の荒廃していた陵墓に新しく石造五輪塔を建立。この工事の際、土中から素焼きの壷に入った秀吉の遺骸とおぼしきものが発見され、丁重に再埋葬されたといいます。
【2】豊国廟 見どころ
・489段の石段- 前半(麓から山の中腹にある門まで)318段
- 後半(中腹の門から頂上まで)171段
【3】登拝御朱印
【4】豊国廟 アクセス
・最寄駅から- バス停「東山七条」から、豊国廟ふもとの鳥居まで徒歩約8分。
- 京阪本線「七条駅」から、豊国廟ふもとの鳥居まで徒歩約21分。
[地図]A地点:豊国廟 鳥居B地点:市バス「東山七条」C地点:京阪本線「七条駅」
・京都駅から- 市バス京都駅前バスターミナルのりば案内[D1のりば] 洛バス100 「東山七条」まで約11分。[D2のりば] 市バス206、208 「東山七条」まで約11分。
- TAXI 所要時間 約9分総距離 約2.8km タクシー料金検索※料金・所要時間は実際とは異なる可能性があります。
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