マーラー交響曲第3番『田園』
音楽ではバロック音楽が始まった時、最初期のオペラは基本的にパストラルです。そもそもバロック音楽は「ギリシャの音楽への回帰」としてパストラルを主題としたオペラから始まりました。モンテヴェルディの歌劇『オルフェオ』が典型ですね。オルフェオは蛇に噛まれて死んだ妻エウリディーチェを迎えに地獄に旅立ちます。そしてもう少しで妻を取り戻せる、という所で、約束を破って妻の姿を見てしまいます。その瞬間、妻エウリディーチェは消えてしまいます。つまり「死んだ者は生き返らない」というメッセージを含んだ逸話なんです。日本神話のイザナギとイザナミの逸話もほぼ同じストーリーになっていて、この時代の神話は世界的に共通点があるらしいです。
曲の構成- 第一部
- 序奏「牧神(パン)が目覚める」
- 第1楽章「夏が行進してくる(バッカスの行進)」
- 第2楽章「野原の花々が私に語ること」
- 第3楽章「森の動物たちが私に語ること」
- 第4楽章「夜が私に語ること」
- 第5楽章「天使たちが私に語ること」
- 第6楽章「愛が私に語ること」
30分程度ある長い第1楽章はソナタ形式ですが、スネヤやホルンが活躍し、コンバットマーチの部分が目立ちます。冒頭のホルンの主題は、ブラームスの交響曲第1番の第4楽章のホルン、つまりアルプスの主題に近いことが指摘されています。またハイドンの交響曲第100番『軍隊』の第一楽章再現部のホルンを連想してしまいます。これぞ交響曲に取り込まれた最初のコンバットマーチです。また第1楽章は「バッカスの行進」という標題がついています。また、こういう曲の場合、トランペットは神の声です。
ニーチェを引用第4楽章はニーチェの「ツァラトゥストラはこう語った」から採っています。『ツァラトゥストラ』はフリードリヒ・ニーチェが1883年~1885年に書いた物語で、ニーチェの哲学が反映されています。当時の哲学・芸術に大きな影響を与えました。最初、この本はほとんど売れなかったようです。
交響曲第3番は1896年に完成しているためニーチェが書いてから10年程度経過しており、19世の世紀末で西洋思想の行き詰まりがリアリティを増してきた頃です。同じ1896年にR.シュトラウスは交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』を作曲し、これはニーチェの著作をそのまま交響詩にしたものです。
マーラーは哲学者ではないので、ニーチェの思想に深く染まった、という訳ではないと思います。他にキリスト教や自然そのものから、大きなインスピレーションを受けています。例えば、交響曲第2番『復活』はキリスト教のコラールからインスピレーションを得たものです。この交響曲第3番も第4楽章はニーチェですが、第5楽章はキリスト教の逸話です。そしてマーラー自身が解釈して、独自の世界観を作り出していると思います。
第4楽章(「ツァラトゥストゥラの真夜中の歌」、ニーチェ『ツァラトゥストゥラはかく語りき』より)アルトおお、人間よ!注意して聴け!深い真夜中は何を語っているのか?私は眠っていた!深い夢から私は目覚めた!世界は深い!昼間が思っていたよりも深い!世界の苦悩は深い!快楽−それは心の苦悩よりもさらに深い!苦悩は言った。「滅びよ!」とだが、すべての快楽は永遠を欲する深い永遠を欲するのだ!
第5楽章の歌詞は『最後の晩餐』第5楽章は「少年の魔法の角笛」から抜粋しています。この歌詞は有名なキリストの『最後の晩餐』の一場面から始まります。『最後の晩餐』といえば、ユダの裏切りですね。しかし、この時にキリストは弟子たちの裏切りについて色々話しており、ペテロもその中に入っています。キリストは、
その時、女中が「ペテロはキリストと一緒にいた」と言います。周囲の人々も近寄ってきて「お前はあの連中の仲間だ」と言います。としかし、ペテロは「キリストのことをのことを知らない」といい、その場から逃れます。その時、鶏が鳴き、ペテロはキリストの予言通りになったことに気づきます。ペテロは泣いて後悔します。それによりペテロの罪は神から許されます。この歌詞はそのシーンですね。
第5楽章(「3人の天使は歌う」、「少年の不思議な角笛」より)3人の天使が美しい歌をうたい、その声は幸福に満ちて天上に響き渡り、天使たちは愉しげに歓喜して叫んだ。「ペテロの罪は晴れました!」と。主イエスは食卓にお着きになり12人の弟子たちと共に晩餐をおとりになったが、主イエスは言われた「お前はどうしてここにいるのか?私がお前を見つめていると、お前は私のために泣いている!」「心広き神よ!私は泣いてはいけないのでしょうか? 私は十戒を踏みにじってしまったのです。 私は去り、激しく泣きたいのです、どうか来て、私をお憐れみください!」「お前が十戒を破ったというなら、跪いて神に祈りなさい、 いつも、ひたすら神を愛しなさい、そうすればお前も天国の喜びを得よう!」天国の喜びは幸福の街である。天国の喜びは、終わることがない。天国の喜びがイエスを通して、ペテロにもすべての人にも幸福への道として与えられた。
マーラーの場合、意外と深い宗教的な意味はない気もしますが、ニーチェの後に、キリスト教生誕の話をおいている訳で、ニーチェを必ずしも肯定した訳でもなさそう、と思います。肯定も否定もしていないように思います。そして、壮大な第6楽章に入っていき、これは救済とも超人とも受け取れますね。マーラーは交響曲第8番『千人の交響曲』では哲学者ゲーテのファウストを用いています。幅広く、いろいろな素材を用いています。
おすすめの名盤レビュー
マーラーの交響曲第3番の名盤をレビューしていきたいと思います。
交響曲第3番は、長大ではあるのですが、 聴くこと自体に難しさがなく、自然体で聴くことができます 。マーラーの交響曲の中でも最も長大なので、敬遠しがちな方もいるかも知れません。単に長大なだけで難解ではなく、ブルックナーのように悠々と気長に聴くと自然に良さがわかります。ただ普段、いわゆるマーラー指揮者など、マーラーを得意としている演奏家とはまた違った組み合わせの名盤が多いように感じます。交響曲第3番はマーラー的な怪しさや毒々しさが比較的少ないからでしょうか。特にユダヤ系で粘りの強い表現だと、良さが分かりにくいです。自然体の演奏で、一度良さを掴めば、熱気があり重さがあるバーンスタイン新盤の良さが分かるようになります。
アバド=ウィーン・フィル ウィーン・フィルの響きを活かしたクオリティの高い定盤ソプラノ ジェシー・ノーマン 女声合唱 ウィーン国立歌劇場合唱団 児童合唱 ウィーン少年合唱団 指揮 クラウディオ・アバド 演奏 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
アバドとウィーン・フィルの演奏は昔からマラ3の決定盤で、クオリティという点では今でも十分聴く価値のある名盤です。録音はしっかりしたものです。 ウィーン・フィルの音色とふくよかさを活かしていて、パストラルらしい柔らかい響きの演奏 です。円熟した深みやシリアスさは上のベルリン・フィル盤の方が良いですが、好みの問題ですね。
第1楽章の 冒頭のホルンはとても力強くシャープ です。トロンボーンも厚みがあり、テンポも少し遅めで、重厚感があります。静かになると ウィーン・フィルの柔らかい音色が良く、パストラルの雰囲気 が良く出ています。色彩感もある音色は本当にマラ3の曲想にぴったりです。一方、思い出したように現れる金管やパーカッションの強奏は、爆発的で巨大さがあり、感情表現も強く、強い対比を成しています。とこを取ってもクオリティが高く、セッション録音の良さが活きています。
第2楽章は 丁度良いテンポで、爽やかさ が前面に出ています。リズミカルな個所はリズム感が良くスリリングもあります。第3楽章は、少し速めのテンポで ウィーン・フィルの木管の味わい深い音色を楽しめます 。とてもフレッシュな雰囲気で、若いマーラーの感受性の豊かさを感じる演奏ですね。中間のトランペットのソロも神々しいです。
第4楽章は 柔らかく少し異様な雰囲気 の中、ジェシー・ノーマンの低めの声域でじっくりと歌います。ホルンなど本当にこの曲の雰囲気によく合っています。ウィーン・フィルは昔はこういう響きを良く出していましたが、アバドは上手く引き出しています。第5楽章は少しゆったり目のテンポで、 リズミカルですが淡い色彩感があり、まさに天使の合唱 です。パストラルの絵画を思い起こさせる表現です。
第6楽章はゆったりした雰囲気で始まり、弦が神々しい繊細な響きで味わい深いです。盛り上がった時のスケールの大きさ、ダイナミックさも素晴らしく、感情表現も強いです。ラストはパーカッションをダイナミックに鳴らすことなく、最後まで淡い色彩感を保っています。 壮大に盛り上がり、スケール大きく曲を締めます 。
やはりウィーン・フィルの柔らかく神々しさのある響きとウィーン少年合唱団のレヴェルの高さ、ジェシー・ノーマンの歌唱など、 マラ3に対してこれ以上ない位、理想的なキャスト です。1980年デジタル録音で、古くは無く、しっかりした音質です。世評が高く、ファンが多いことも納得の名盤です。
小澤征爾=ボストン交響楽団 小澤らしい澄んだ響き、インスピレーションに満ちた名盤ソプラノ ジェシー・ノーマン 合唱 タングルウッド祝祭合唱団 少年合唱 アメリカ少年合唱団
小澤征爾のマーラーは、他のヨーロッパの指揮者とは全く違います。特にユダヤ系の指揮者とは違いますね。小澤のマーラーは自然で水彩画のようです。ボストン交響楽団もダイナミックながら、すっきりした演奏を繰り広げています。少なくとも交響曲第3番に関して言えば、非常に素晴らしい演奏です。主に自然を描いているわけですし、小澤征爾は ドヴォルザークやヤナーチェクなどチェコの作品をとても得意としている ということもあるかも知れません。聴いていて目から鱗(うろこ)がおちるような時もあります。あとに続くマーラー演奏にも大きな影響を与えたディスクだと思います。
第1楽章は速めのテンポでホルンがダイナミックにテーマを吹奏します。テンポ感が自然で良いです。トランペットも輝かしく、ホルンの咆哮も情熱的です。マーチに入ると軽快で爽やかな音楽を繰り広げています。ボストン響の管楽器、パーカッションもリズミカルで演奏です。テンポはキビキビと前進して行きますが、小澤征爾らしい 繊細な表現があり、決して楽天的では無く、影がきちんと表現 されています。そして、金管の力強いコンバットマーチが展開されていきます。特別ギリシャ風に表現した、という訳では無く、 自然とギリシャ的な雰囲気 が出てきています。
第2楽章は少し遅めですが、ほぼインテンポで自然な演奏です。 ボストン響の色彩感が活かされています 。この色彩感はフランス音楽とは異なり、神々しさを伴っています。第3楽章は速めのテンポでリズミカルです。異様な雰囲気が良く出ています。 響きは水彩画のようで、とても澄んだ湖 のようです。上手く色彩感が付けられていて、神々しさにもつながっていきます。
第4楽章は、透明感のある響きで始まります。ジェシー・ノーマンの声域はソプラノですが、ここではアルトパートを歌っています。そのせいか、ノーマンの声が細身に聴こえ繊細で澄み渡っています。伴奏もとても透明感が高く、澄み渡っています。途中、 弦やホルンもとても淡い色彩に満ちていて、パストラルの雰囲気満点 です。第5楽章は速めのテンポでリズミカルです。少年合唱と女声合唱のレヴェルが高く、躍動感があります。ノーマンの歌唱は艶やかで情熱的に表現しています。影のある個所も上手く表現し、奥深さがあります。第6楽章は奥ゆかしく、遅いテンポでじっくり演奏して行きます。 ボストン響の弦の音色はメローな色彩感があり、コクがあって味わい深い です。段々と盛り上がり、ラストはダイナミックで壮大な音響となります。
小澤盤は他のマーラー指揮者とは少し違う表現ではあるのですが、自然体の演奏であり、アバド盤と同様に交響曲第3番にはとても相応しい自然体の名盤です。
アバド=ベルリン・フィル 自然体だが奥深い、円熟したアバドの名盤指揮 クラウディオ・アバド 演奏 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
アバドは若いころからマーラーの3番を良く取り上げてきました。ウィーンフィルとの演奏もあり、こちらも名演といわれています。 ベルリンフィルとの演奏はアバドが病気をして復活した直後 に演奏されたもので、同時期に収録された第7番、第9番と共に緊迫感あふれた非常に素晴らしい演奏となっています。
第1楽章は少し暗さを伴ったホルンのコンバットマーチから始まります。ベルリン・フィルなので、ホルンは強力です。一旦静かになった後の トランペットは鋭く、ホルンは叫ぶように吹きます 。晩年のアバドの深みのある表現です。そして、ギリシャ的なパストラルの色彩を帯びた音楽になります。少しクールなベルリン・フィルの響きで、神々しくもギリシャ風の音楽が展開されていきます。トランペットのソロが印象的です。バッカスの行進を表すコンバットマーチもド迫力です。アバドは自然体ですが、 ベルリン・フィルから影のある響きを引き出していて、こういう演奏はこの時期のアバドでないと聴けない ものです。ダイナミックになってスケールが大きくなり、またホルンが叫びまわります。
第2楽章は 自然なテンポでリズミカルに進みます 。少しひんやししたベルリン・フィルの響きが素晴らしいです。またギリシャ的な響きも随所に現れています。青春を思わせるような甘美で色彩的な響きも深みを持って聴こえます。第3楽章のスケルツォはリズミカルです。怪しい雰囲気をよく出していますが、爽やかさも同居しています。
第4楽章は アルトの繊細で内省的な歌唱が素晴らしく 、少しクールなベルリン・フィルの伴奏を絶妙な組み合わせです。このアルトは太い声よりも繊細な方が良いですね。第5楽章は 合唱のレヴェルが高く、透明で神々しい響き を醸し出しています。まさにギリシャ的です。アルトの内省的な表現との対比がとても良いです。
第6楽章は 穏やかで壮大 です。いつ終わるとも知れない長大な音楽が、自然体で演奏されていきます。ベルリン・フィルの弦は厚みがあり、それが深みを感じさせます。 時間を気にせず味わいたい名演 です。
ノイマン=チェコ・フィル ノイマンの濃厚で味わい深いチェコの響きアルト マルタ・ヴェニャチコヴァ 少年合唱 チェコ・フィルハーモニック少年少女合唱団 合唱 プラハ室内合唱団 指揮 ヴァーツラフ・ノイマン 演奏 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
イヴァン・フィッシャー=ブダペスト祝祭管弦楽団 テンポ速めシャープさがある、曲の魅力がよく分かる名盤アルト ゲルヒルト・ロンベルガー 合唱 バイエルン放送合唱団 児童合唱 カンテムス児童合唱団 指揮 イヴァン・フィッシャー 演奏 ブダペスト祝祭管弦楽団
イヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団の録音です。2016年録音と新しく自然さのある特音です。全体的にテンポが速めで、コンバットマーチやスケルツォ、第5楽章などが新鮮に聴こえます。録音は木の温もりを感じますが透明感もあり、第4楽章、第6楽章も味わい深く響いています。
第1楽章はホルンの主題がキビキビしていて気分よく聴けます。ブダペスト祝祭管はレヴェルの高いオケですが、ベルリン・フィルには敵いませんが、十分ダイナミックです。 弦はスリリングで金管の咆哮も情熱的 です。自然な録音で、ギリシャ的なパストラルというよりは、チェコやハンガリーの自然を感じるような演奏です。 行進曲に入ると速めのテンポでキビキビと進み、メリハリが良くついていて爽快 です。
第3楽章スケルツォもテンポが速めで、 東欧的な民族的な味を感じる演奏 です。また柔らかい色彩感があり、幻想的な響きを醸し出しています。第4楽章はアルトのゲルヒルト・ロンベルガーが 安定した歌唱と繊細な表現 で聴かせてくれます。ホルンや木管のソロ陣の音色もハンガリーらしく味わい深い演奏ですね。高音質でホルンのソロの上手さが光ります。第5楽章は 速いテンポで児童合唱が生き生きと歌います 。アルトも含めてリズミカルで、その中で罪悪感を表現しています。
第6楽章は艶やかで滑らかさのある弦の響きで始まります。弦の厚みはそこまでではないですが、透明感のある響きです。 繊細さをもって味わい深い演奏が繰り広げられ 、ラストはダイナミックに盛り上がり、熱狂的に終わります。
ブダペスト祝祭管弦楽団はハンガリーのオケとしては非常にハイレヴェルです。アンサンブル力も高いですし、個々のソロもレヴェルが高いです。同時にスラヴの民族的な色彩が豊かで、味わいがあります。ギリシャ的なパストラルというよりは自然で中欧の深い森を思わせる演奏ですね。
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