. The tokyo manzai collections – 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections
The tokyo manzai collections – 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections
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竹の家雀右衛門・小糸

雀右衛門は嵐紅若という旅回りの役者で、本人も若三郎という名で子役をやっていたという。 16歳の時に名古屋へ行き、西川扇女より日本舞踊をみっちりと仕込まれ、舞踊家として育てられた。 23歳の時に噺家に転向し、桂文治(七世)や桂団助を師事し、桂都雀と名乗ったが、芸妓と九州へ駆落ち事件を起こし、あえなく破門。 下関で弁士や役者の真似事で糊口を凌いでいる所、周りの勧めで幇間に転向。当地で人気を集めたがまた芸妓関係の事件を起こし、大阪へ戻った。 帰阪後、破門を許された都雀は、講談の神田伯山や橘家円太郎の誘いで東京の寄席にも出られるようになった。 二度目の上京で、喜劇役者に転向。この時出会ったのが樺太で弁士をやっていた大道寺春之助。 北海道を巡業したものの、莫大な借金を背負う事となり、辛酸を舐めた。踊りの師匠をしながら、借金を返済し、樺太、札幌、岩内、小樽と転々とした後、喜劇に見切りをつけ、漫才に転向した。

竹の家小糸 雀右衛門

根は古い落語家で踊りも踊り目下は一人で気まぐれに奇術などをやっている

東京漫才の一員に

▲諸演藝會 十一日より五日間神田喜楽に、出演者は、 喜代楽、愛子、小雀、雀右衛門、九州男、米奴、小源太、百々龍、花美秀會美人連、正夫、天外、亀次、宝楽

また、他の新聞には「舞踊漫才 竹乃家雀右衛門 小糸」とある。1935年時点で看板の一組になっている所を見ると、漫才師になったのは、もう少し前という推測も立とうか。

色川 思い出さないなア。中村目玉・玉千代というのがいたね。浪曲漫才だ。これ、よかった。 立川 それから、顔じゅうキセルをぶら下げる竹の家雀右衛門。 色川 ああ、いたいた。雀という字を書くのね。それで、ポロポロッと落っことす。ぼやいてばかりいてね、これが面白かった。

ところが世の中よくしたもんで、天津の花柳界、曙町というんだが、ここに寄席にいたんで知って いた雀右衛門という男芸者、幇間だね、だからしょせんは桜川とか揚羽家とかいうんだろうけど、これがタベ天井の落ちるまで見てたってんだ。 「天井が落ちてお気の毒です。でもこうなったら、わたしがお座敷を世話するよ」 で、全員幇間に転向だ。たいこもちったって、狸じゃあるまいし、腹太鼓を叩くわけじゃないよ。客の気に入るように、主として話芸さ。これを俗にヨイショするという。これは俺はうまいからねえ。俺はヨイショに徹したよ。この雀右衛門は終戦後日本に帰って漫才をやってたがどうしたかねえ。

お気楽お座敷漫才師

親と子の珍芸くらべ

口上……あんまりお目にかかれぬキセルの曲芸。むずかしいというよりは、バカバカしくてやる人がないから珍しいという事になりまする。一本一本と顔の皮につりさげまして、また一本一本と落して行きまする、首尾よくまいりましたらおなぐさみ…… とチャンチキ、チャンチキにぎやかな三味線入り。東京駒込の竹の家一族は、いずれも古代芸がお好きとあって、ご主人の雀右衛門さんが『キセルの顔の曲芸』娘の初美さんが『一本歯、扇の松づくし』奥さんが三味線や太鼓の伴奏をつけるといったにぎやかさ。このほかぬいぐるみの象をひっかぶる『象のおふざけ』連理の棒や中国セイロの手妻など物好きな一族。舞台にでることはほとんどないが、ごひい気筋のお座敷ではなかなかの人気。

情報、消息、関係者求ム。

芸 風

他の漫才師たち

荒川芳夫・千枝子 荒川芳夫・千枝子は戦前活躍した夫婦漫才。関西の荒川芳丸の門下だったという。浪曲漫才を得意としたほか、古今亭志ん生・三遊亭圓生らと共に終戦直前の満州にわたり、逃避行をつづけたメンバーの一組でもあった。 榎本晴夫・国友昭二 井上耕・今井真理子 桂金哉・金二 高峰愛天・東天 大倉寿賀若・西宮奈美江

コメント

少し前からTwitterフォローさせて頂いてます。現・楽猿 元・金島豊 失礼ながら、今回初めて内容読ませて頂きました。凄いですね。とても読み応えが有ります。 お身体ご自愛下さい。楽しみにしてます。 初めての返信、失礼お許しを

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