藤井フミヤ『TRUE LOVE』 誰もが私を忘れても
はかなく、強風に吹かれたらたち消えてしまいそうな「灰汁の弱さ」でもあります。ですが、そこがかえって、“残る”のではないでしょうか。心に残留するのです。カドを磨かれ、引っ掛かりを削がれ、まるくまるくなっていく。そこに残った“思い”、観念は、ずっと風を読み続けてそこにある自然物のようでもあります。詠み人知らずの大衆民謡みたいなものに通ずるのではないでしょうか。何世紀を経ても、ヒトは、観念上の悲しみや愛を持って生きていく。思いの主が「特定の誰か」と認知される必要がなくなっても、思念だけが、流れる川のように、その底に沈殿した丸い石のように、残るのです。タイムカプセルを拾い上げ、愛でる後世の誰かがいるかもしれません。引っ掛かりがなくつるつるなようでいて、サビの“はるかはるか……”のところには「遺す意思」が宿って感じます。
ご寛容ください 拙演
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